片 月 見
想うたびに切ないと思うのは、その想いを伝えることができないからだろうか。
誰よりも近しい存在であるはずなのに、一番遠い所にいる。こんなにも皮肉な状況が他にあるだろうか。
兄さん、と呟いた言葉は彼に伝わるはずもなく空間に消えた。
伝えたいけれど、伝えられるはずもない。
相手が兄さんでさえなかったなら、こんなにも苦悩しなかったのだろうか。架空の空想など無意味だとわかっていても、そう考えなかった日はない。
ああ、そういえば今夜は満月だ。
野営地に張られた天幕を月明かりが照らす。隙間から覗いた空は夜だというのにひどく明るかった。
これでは、何も隠せやしないじゃないか。
そんなことを思って、この場に彼がいなかったことに今は安堵する。
もしも今兄さんに逢ってしまったら、醜い僕の素顔までも悟られてしまいそうだった。いや、きっと鋭い兄さんの前で隠し通せるはずがない。
悟られては、いけない。
そうだ、伝えないのではない。隠し通さなければならない。僕に選択肢などありはしない。
そんなこと、わかりきっていることじゃないか。
たとえ一時の気の迷いだとしても、浅ましいこの感情を肯定するわけにはいかない。
自身を抑えこむことは難しいことではない。
そう自身に言い聞かせて、もう考えるのをやめようと月を仰ぐ。
それなのに。
月は狂気を呼ぶ、とは誰が言い出したことなのだろう。
気がつけば、無意識に想い描いてしまっている。
思考が自身を裏切っていくことに動揺を隠せない。どうして。
どうして、こんなにも、狂おしいほどまでに。
感情とはなんて残酷なのだろう。もしも彼でなかったなら、と、また堂々巡りを繰り返してしまう。
今夜は妙に感情が過敏になっている。そうだ、きっと月の狂気のせいだ。
思考を振り払うようにかぶりを振る。もう寝てしまおう、もう、この夜にこれ以上は耐えられそうもない。
明日にはきっと冷静でいられるだろう。
月光を遮断する暗幕を下ろして、僕は月に背を向けた。